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小簾の戸考 -その2-

-こすのと- とは、

本来は御簾の外をさす歌語です。

また、小簾は『釣簾』とも書き、細いものを編んで目をすかしたもの、つまりすだれやみすのことです。

御簾の内の密やかな色事があり、その外とは、内とは違う儘ならぬ思いや憂いをいうのでしょうか?

そしてまた、かくされた御簾内の世界を外からのぞき見る・・・と解釈すると、なんとも謎めいた色香が漂います。


作者の“首のぶ”は、

京都祗園の名妓で、当時の三井家の旦那に一万両入れあげさせたと伝えられ、

襟足の美しさから“首のぶ”呼ばれていたそうです。

曲亭馬琴の『覇旅漫録』によると・・・、

首のぶは、力士御所桜長兵衛の娘お信で、安永(1772~1781)の頃祗園の芸妓であったようです。

「顔色絶麗」で「全盛類なし」、

そのころ43歳というのに、25、6歳に見えたとあるほどの美人でした。

こののぶが全盛の頃、

時の富豪三井の当主が想いをかけ数万金を費やしたので、一族はこの当主を伊勢へ蟄居させました。

のぶは、後を追って松坂へ行き、その三井氏に寄り添い13年仕え、

同時に本居宣長に師事し、「源氏物語」などの国学を学んだそうです。

その後、一族の懇請によってのぶは身を引き、男は三井次郎右衛門高長と返り咲きました。

のぶは、京へ戻り再勤し、初代嵐離助や中山文七の人気役者と浮名を流したと伝えられています。

首のぶを愛した三井家の当主は、地歌の作者でもあり、

俳人として有名な三井北家5代目か?と言われていますが、実のところは不詳です。

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